沿革
本学園は大正7年に創立者人見圓吉を中心として組織された「文化懇談会」に端を発します。
その後「文化懇談会」は「日本婦人協会」へと発展し、第一次世界大戦直後の大正9(1920)年9月には、新しい日本文化の創造と人類福祉の増進に自ら進んで貢献する女性の育成という大きな教育目標を掲げ、現在の文京区、当時の小石川区西江戸川町に「日本女子高等学院」を設立しました。
第1期生は8名、これを迎える専任講師は5名でした。愛と理解と調和を旨とし、「世の光となろう」という建学の精神を確立し、その第一歩を踏み出しました。
その後「文化懇談会」は「日本婦人協会」へと発展し、第一次世界大戦直後の大正9(1920)年9月には、新しい日本文化の創造と人類福祉の増進に自ら進んで貢献する女性の育成という大きな教育目標を掲げ、現在の文京区、当時の小石川区西江戸川町に「日本女子高等学院」を設立しました。
第1期生は8名、これを迎える専任講師は5名でした。愛と理解と調和を旨とし、「世の光となろう」という建学の精神を確立し、その第一歩を踏み出しました。
大正9年9月 (1920) | 人見圓吉ほか有志4名が私塾「日本女子高等学院」創立(現東京都文京区水道4-28)
加治いつが初代校長に就任 |
大正11年4月 (1922) | 私立学校「日本女子高等学校」に昇格、5年制の高等女学部を付設
校舎を移転(現東京都中野区東中野4-2) |
大正15年6月 (1926) | 校舎を移転(現東京都中野区上高田1-39) |
昭和2年7月 (1927) | 財団法人日本女子高等学院を設立
高等女学部を分立し「昭和高等女学校」とする 人見圓吉が理事長に就任 |
昭和21年4月 (1946) | 財団法人東邦学園を設立
人見圓吉が理事長に就任 |
昭和26年3月 (1951) | 財団法人東邦学園を「学校法人昭和女子大学」と改める
財団法人日本女子高等学院を「学校法人昭和高等学校」と改める 人見圓吉が両法人の理事長に就任 |
昭和26年4月 (1951) | 学校法人昭和高等学校に昭和幼稚園を付設
人見圓吉が初代園長に、人見楠郎が主事に就任 幼稚園庶務制度はじまる |
昭和35年4月 (1960) | 人見楠郎が第2代園長に就任 |
昭和38年4月 (1963) | 学校法人昭和女子大学に学校法人昭和高等学校を併合
学校名を昭和女子大学附属昭和幼稚園と改める |
昭和42年1月 (1967) | 新園舎が完成 |
昭和52年4月 (1977) | 研修学寮「東明学林」を開設 |
昭和55年2月 (1980) | 「創立者人見記念講堂」を開設 |
昭和61年3月 (1986) | 研修学寮「望秀海浜学寮」を開設 |
昭和62年7月 (1987) | 研修学寮「会津キャンプ村」を開設 |
昭和63年4月 (1988) | 米国マサチューセッツ州にボストン昭和女子大学を開学 |
平成元年4月 (1989) | 生涯学習施設「昭和女子大学オープンカレッジ」を開設 |
平成4年1月 (1992) | 開園40周年式典を挙行 |
平成12年10月 (2000) | 学園創立80周年記念祝典を挙行 |
平成12年11月 (2000) | 第2代園長人見楠郎が逝去
渋谷弘子が第3代園長に就任 |
平成13年11月 (2001) | 開園50周年記念式典を挙行 |
平成18年3月 (2006) | 昭和学園新体育館・杜楠苑を竣工 |
平成19年4月 (2007) | 江口雄輔が第4代園長に就任 |
平成23年11月 (2011) | 開園60周年式典を挙行 |
平成25年4月 (2013) | 小泉清裕が第5代園長に就任 |
平成28年4月 (2016) | 幼稚園廃園と同時にこども園設置
小泉清裕が初代統括園長に、越川小枝子が初代園長に就任 |
平成30年4月 (2018) | 木間英子が第2代統括園長に、北村秀人が第2代園長に就任 |
令和3年4月 (2021) | 藤崎春代が第3代統括園長に就任 |