1920年9月、人見圓吉は「愛と理解と調和を旨とする新しい女性を育む学校を設立したい」と、私塾「日本女子高等学院」を創設しました。そこで人見圓吉は建学の精神を「開講の詞(かいこうのことば)」を通して表しました。
その意味を「世の光となろう」ということばに集約し、いまに引き継いでいます。
その意味を「世の光となろう」ということばに集約し、いまに引き継いでいます。
開講の詞(建学の精神)
夜が明けようとしてゐる。五年と云ふながい間、世界の空は陰惨な雲に掩はれて、人々は暗い檻の中に押し込められて、身動きも出来なかった。けれど、今や、一道の光明が空の彼方から仄めき出して、新らしい文化の夜が明けようとしてゐる。人々は檻の中から這ひ出し、閉ぢ込められた心を押し開いて、文化の素晴らしい光を迎へようとしてゐる。
夜が明けようとしてゐる。海の彼方の空にも、わが邦の上にも、新らしい思想の光が、ながい間漂うてゐたくろ雲を押し破って、眩しいばかり輝き出そうとしてゐる。それを迎へて叫ぶ人々の声をきけ。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びをきけ。既に目ざめた人々は、文化の朝を迎へる可く、身にも心にも、仕度が十分調ってゐる。
夜が明けようとしてゐる。われ等の友よ。その愛らしき眼をとじたまま、逸楽の夢をむさぼる時はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎へるために、身仕度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分にとらねばならぬ。そして、目ざめたる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互ひに研き合はなければならない時が来たのである。
夜が明けようとしてゐる。海の彼方の空にも、わが邦の上にも、新らしい思想の光が、ながい間漂うてゐたくろ雲を押し破って、眩しいばかり輝き出そうとしてゐる。それを迎へて叫ぶ人々の声をきけ。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びをきけ。既に目ざめた人々は、文化の朝を迎へる可く、身にも心にも、仕度が十分調ってゐる。
夜が明けようとしてゐる。われ等の友よ。その愛らしき眼をとじたまま、逸楽の夢をむさぼる時はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎へるために、身仕度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分にとらねばならぬ。そして、目ざめたる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互ひに研き合はなければならない時が来たのである。
大正九年九月十日 日本女子高等学院
校訓三則
本学園は、上品で礼儀正しく、清純で規律を守り、堅実でこころ豊かな知徳兼備の女性を育むことを教育目標とし、「校訓三則」に示しています。
清き気品
篤き至誠(あつきしせい)
高き識見
篤き至誠(あつきしせい)
高き識見
清き気品とは、清楚な品位を保つことです。これは、あたたかく広い心で人と接すること、相手の気持ちを思いやること、礼節を重んじることなどで身につけることができます。ものの考え方から身の処し方、そして服装にいたるまで、学園で学ぶ者として清楚な品位を保つことが大切です。
篤き至誠とは、自分と同様に他を愛し、愛と理解と調和を実践し、誠実に日々精進することです。正しいと思うことは勇気を持って行い、学友との交流を大切にし、公共の施設を使用する際には行き届いた配慮をすることが、この精神体得に通じる道です。
高き識見とは、志高く豊かな知識を持ち、広い公平な判断ができることです。
専門とする学問に真剣に取り組むこと、また、専門以外の知識を深め内面を磨き、懸命に生きる道を探求することです。
篤き至誠とは、自分と同様に他を愛し、愛と理解と調和を実践し、誠実に日々精進することです。正しいと思うことは勇気を持って行い、学友との交流を大切にし、公共の施設を使用する際には行き届いた配慮をすることが、この精神体得に通じる道です。
高き識見とは、志高く豊かな知識を持ち、広い公平な判断ができることです。
専門とする学問に真剣に取り組むこと、また、専門以外の知識を深め内面を磨き、懸命に生きる道を探求することです。