本学園は1918年(大正7年)に創立者人見圓吉を中心として組織された「文化懇談会」に端を発します。その後「文化懇談会」は「日本婦人協会」へと発展し、第一次世界大戦直後の1920年(大正9年)9月には、新しい日本文化の創造と人類福祉の増進に自ら進んで貢献する女性の育成という大きな教育目標を掲げ、現在の文京区、当時の小石川区西江戸川町に「日本女子高等学院」を設立しました。
第1期生は8名、これを迎える専任講師は5名でした。愛と理解と調和を旨とし、「世の光となろう」という建学の精神を確立し、その第一歩を踏み出しました。
第1期生は8名、これを迎える専任講師は5名でした。愛と理解と調和を旨とし、「世の光となろう」という建学の精神を確立し、その第一歩を踏み出しました。
昭和学園の建学の精神は、「世の光となろう」という言葉に託されている。1920年の学園創設にあたって創立者人見圓吉は、第一次大戦後の荒廃を平和で希望に満ちた世界に変えるには、慈愛に満ちた女性の力が必要であり、「来る文化の朝を迎へるために身支度をとり急がねばならぬ」と『開講の詞』で説いた。また、創立者は「目覚めたる婦人、正しき婦人、思慮ある力強き婦人」の育成を教育の目標に掲げ、『校訓三則』では「清き気品、篤き至誠、高き識見」を備えた人間になるよう教えている。この建学の精神は、現在もなお色褪せることなく受け継がれている。この精神に則って時代の変化に先駆けながら、社会が求める人材を輩出して行くことが本学園の使命である。