椿 広計(つばきひろえ)理事長
理事長からのメッセージ
昭和と昭和を支える皆様方へ
学校法人昭和女子大学の理事長に選任された椿 広計(ひろえ)です。
私は、幼稚園・初等部と8年間、昭和っ子として過ごしました。昭和30年代の正門前には玉川線という路面電車が渋谷まで続いていて、空も首都高でおおわれていませんでした。人見楠郎先生が作詞し、音楽の井上正先生が作曲された歌を「雨の日・晴れの日・雪の日も」歌っていた時代です。人見先生は、初等部で道徳を担当され、遠足でも先頭を歩いていました。この年になっても、少し元気になろうと思ったときなど、頭の中に朝礼の歌声が響きだすこともあります。そんな時、昭和の変わらない、変わるべきではない光や恩師の声を慈しみたい思いに駆られます。私が糧としてきた昭和の光もご迷惑で無ければ皆様方に継承したいと思っています。
今回、縁あって人生の原点である学び舎の理事長という大きな責任を担うこととなりました。昭和で体得した真心を尽くし、昭和を今日まで築き上げた先人の道標を基に、益々昭和の発展に尽くしたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、私は「統計家」です。名前の広計は、「統計を広める」という芸名みたいだと言われてきました。統計家は社会の様々な課題をテータに基づいて解決することにベストを尽くすサービス専門職です。アメリカをはじめ多くの国では沢山の統計家が活躍しています。ただ、日本では職業としては確立していません。
ですから大学院修了後、大学等の研究者として給料を頂いて研究や教育を行う傍ら、統計家としての活動に励みました。企業の製品やサービスの改善、専門職教有の改革、生活の質の改善、地球環境の評価、医薬品の許認可など、データあるいは現場や現実を見ながら、その分野の人々と悩みを共有する日々を続け、気が付いたら40年以上です。齢70歳近くになりましたが、まだ真打には程遠く、生涯修行の身です。
理事長としての役割についても、偉そうなことを申し上げましたものの、ばらつきを認める唯一無二とは縁遠い生活を送ってきた「統計家」特有の大雑把なところもあり、皆様方にご心配をかけるかもしれません。なにとぞご容赦頂ければ幸いです。
学校法人昭和女子大学の理事長に選任された椿 広計(ひろえ)です。
私は、幼稚園・初等部と8年間、昭和っ子として過ごしました。昭和30年代の正門前には玉川線という路面電車が渋谷まで続いていて、空も首都高でおおわれていませんでした。人見楠郎先生が作詞し、音楽の井上正先生が作曲された歌を「雨の日・晴れの日・雪の日も」歌っていた時代です。人見先生は、初等部で道徳を担当され、遠足でも先頭を歩いていました。この年になっても、少し元気になろうと思ったときなど、頭の中に朝礼の歌声が響きだすこともあります。そんな時、昭和の変わらない、変わるべきではない光や恩師の声を慈しみたい思いに駆られます。私が糧としてきた昭和の光もご迷惑で無ければ皆様方に継承したいと思っています。
今回、縁あって人生の原点である学び舎の理事長という大きな責任を担うこととなりました。昭和で体得した真心を尽くし、昭和を今日まで築き上げた先人の道標を基に、益々昭和の発展に尽くしたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、私は「統計家」です。名前の広計は、「統計を広める」という芸名みたいだと言われてきました。統計家は社会の様々な課題をテータに基づいて解決することにベストを尽くすサービス専門職です。アメリカをはじめ多くの国では沢山の統計家が活躍しています。ただ、日本では職業としては確立していません。
ですから大学院修了後、大学等の研究者として給料を頂いて研究や教育を行う傍ら、統計家としての活動に励みました。企業の製品やサービスの改善、専門職教有の改革、生活の質の改善、地球環境の評価、医薬品の許認可など、データあるいは現場や現実を見ながら、その分野の人々と悩みを共有する日々を続け、気が付いたら40年以上です。齢70歳近くになりましたが、まだ真打には程遠く、生涯修行の身です。
理事長としての役割についても、偉そうなことを申し上げましたものの、ばらつきを認める唯一無二とは縁遠い生活を送ってきた「統計家」特有の大雑把なところもあり、皆様方にご心配をかけるかもしれません。なにとぞご容赦頂ければ幸いです。
プロフィール
| 選任条項 | 理事長(寄附行為第15条第2項) |
| 出身地 | 東京都 |
| 最終学歴 | 東京大学大学院工学系研究科修了 |
| 趣味 | 日本史関係の読書、データ解析、音楽鑑賞、囲碁 |
| 座右の銘 | 座右の銘ではありませんが、夏目漱石先生の「自己本位」とは何だろうかと考えています。 20世紀冒頭のロンドンにArtを自らの方法で科学にしてみせると決意した夏目金之助先生がいました。その決意に影響を与え、夏目先生がそれを乗り越えると宣言したのが、Pearson先生の科学の作り方、科学の文法という考え方です。 Pearson先生は、データサイエンスのパイオニアと呼ぶべき方です。私が、文学とデータサイエンスの不思議な繋がりに気づいたのは21世紀の冒頭で、夏目先生の自己本位とは、自分で真実に接近する方法論の確立ではないかと、推察しています。 |
経歴
| 昭和57年4月~昭和62年3月 | 東京大学工学部計数工学科助手 |
| 昭和62年4月~平成9年3月 | 慶応義塾大学理工学部数理科学科講師
慶應義塾大学学生部委員 |
| 昭和62年6月~平成2年3月 | 環境庁国立公害研究所環境情報部客員研究員 「情報研修」講師 |
| 平成2年7月~平成15年3月 | 国立環境研究所衛星観測チーム客員研究員 |
| 平成5年8月~平成7年3月 | 慶應義塾大学臨時施設 MEGA Study データセンター所長 |
| 平成9年4月~平成12年8月 | 筑波大学大学院社会工学系助教授
経営・政策科学研究科経営システム科学専攻(修士課程)・企業科学専攻助教授 |
| 平成12年9月~平成13年3月
|
筑波大学大学院社会工学系教授
経営・政策科学研究科経営システム科学専攻(修士課程)・企業科学専攻教授 |
| 平成13年4月~平成24年11月
| 筑波大学大学院ビジネス科学研究科教授 |
| 平成17年4月~平成18年3月
|
筑波大学大学院経営システム科学専攻長・専門職大学院設立準備室長 |
| 平成17年4月~平成25年3月
|
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 統計数理研究所リスク解析戦略研究センター長・リスク研究ネットワーク運営委員・事務局長 |
| 平成18年4月~平成24年11月
|
筑波大学大学院ビジネス科学研究科
専門職大学院国際経営プロフェッショナル専攻教授 |
| 平成19年9月~平成20年7月
|
筑波大学大学院国際経営プロフェッショナル専攻長 |
| 平成20年12月~平成27年3月 |
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 統計数理研究所データ科学研究系教授 |
| 平成21年1月~平成27年3月
| 総合研究大学院大学複合科学研究科統計科学専攻教授 |
| 平成22年4月~平成27年3月
| 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 統計数理研究所副所長 |
| 平成24年12月~平成27年3月
| 筑波大学大学院ビジネス科学研究科客員教授 |
| 平成25年4月~平成27年3月
| 名古屋大学医学部客員教授 |
| 平成27年4月~平成31年3月
| 独立行政法人統計センター理事長 |
| 平成31年4月~令和7年3月 | 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 理事・統計数理研究所長 |
| 平成31年4月~令和5年3月
| 独立行政法人統計センター顧問 |
| 令和元年5月~令和5年3月 | 総合研究大学院大学参与 |
| 令和3年4月~現在 | 総務省統計研究研修所・客員統括教授 |
| 令和3年10月~現在
| 総務省統計監理官 |
| 令和4年12月~令和6年3月 | 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 戦略企画本部 戦略企画本部長 |
| 令和5年4月~現在
| 独立行政法人統計センター特別参与 |
| 令和6年4月~現在
| 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 データサイエンス共同利用基盤施設副施設長 |
| 令和7年5月~令和8年3月 | (学)昭和女子大学監事 |
| 令和8年4月~現在 | (学)昭和女子大学理事長 |